オタク仮卒業しました
2008/03/26
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※かなり個人的な考えです。
※暗い雰囲気をかもし出しています。 時間は何処からともなく降ってきて、浮んでは積もって、消えて、浮んでいる。 どんなに重たくてどろどろとした内容でも、時間には関係がない。 所詮、自分の存在など、時間にとっては小さなことなのだ。 しかし、自分のなかにも時間はある。 全てのものに、時間は存在している。 「存在」というのは間違っているかもしれないが、あるのだ。 速さは違っても、確実にあるのだ。 今より前の「時」は、つかまえようと思えば摑まえられるが、 つかまなければ無くなるかのように見えなくなる。 全ての「時」は浮んでいる。 前など全く見えないくらい、いろんな時が、ところ狭しと浮んでいる。 自分のものも、他のものも。 それらは、近ずき過ぎて重なってしまうこともある。 つながってしまうことも、初めから繋がっているものもあるのだ。 全ては、浮んで積もって浮んでいる。 軽いようで、とても重たい。 押しつぶされてしまいそうなくらい、周囲にある時は重たい。 今とどく範囲内に、私の時はどれだけあるのだろうか。 いろんなとこに置いてきた、捨ててきた、失くしてきたはずだ。 今頃は何処かで消えていて欲しい、お願いだから。 忘れたい。 わたしの中にも、空白をつくって欲しい。 わたしの使った時を、リサイクルにでも出してしまいたい。 思いだすという行為を好きにはなれそうにない。 時と記憶というのは密接に関わりあっているかのようだ。 が、果たしてそうなのだろうか。 時は生きているかのようだ。 生きているのだろう。 まるで侵食されているようだ。 自分は死んでいるかのようだ。 何が違うのだろう。 違いなどあるのだろうか。 こうしている今も、死後の世界かも知れないのだ。 そのまま無くなってしまえばいいのに。 PR ![]() ![]() |
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オタク仮卒業済み いま私に必要なのは「笑い」だと思う
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